【ゲーム】街づくりゲーム Cities:Skylinesの話
街づくりゲームが好きで、SimcityシリーズやA列車で行こうシリーズを昔からよくプレイしていた。この手のゲームは人口を増やしていく攻略的な面白さと、作った街を見渡すジオラマ的な楽しみがある。
私の場合、小学生の頃はSimcityで人口を増やすことに熱心だった。しかし、アルコロジーをマス目に添って埋めていく作業中に、ふと何やってんだろと虚しくなり、この手のゲームに攻略的な面白さを求めなくなった。
広大な土地で自由な開発を
そうなるとジオラマ的な楽しみ方になるわけだ。しかしこれらのゲームは容量の都合で、開発するできる面積があまり大きくないという弱点がある。よって住宅地のすぐ隣に工場だの発電所があったり、不自然に小さな学校や公園になってしまう。挙げ句の果てには空港が密集地に囲まれていたりする。
広大な敷地で自由に街づくりをしたい。Simcityプレイヤーなら誰もが考えることだ。これを叶えてくれるのがCities:Skylinesというゲーム(PCゲーム)なのだ。
このゲームは最大で18km×18km=324k㎡の面積を開発できるから凄い。これは名古屋市くらいの面積に相当するのだ。ここまでくると2、3個の都市を並行して作ることもできるし、その間に広大な農地を広げることもできる。空港用地のために巨大な埋立地を作ったり、スパゲッティのように絡み合うアメリカのハイウェイを作ることもできる。
碁盤病とSimcity
ところでSimcityのような街づくりゲームには「碁盤病」と呼ばれる病気がある。これは道路を直線交差に引くことで、どの部分も画一的な見た目になってしまう都市を作ってしまう、よくある現象だ。しかし京都や札幌のように碁盤の目都市があるのだから、別にこれは悪いことではない。現実の街は、碁盤の目にしたくても出来ないからしないのである。妥協の産物である。
しかしゲームではプレイヤーは神である。こんな妥協は必要ない。効率的な街を作ろうと思ったら、土地を均して碁盤の目で道路を引いて、建物を敷き詰める。これでよい。
のだが、これが実によくない。こんなことをしているとこの手のゲームは1日で飽きてしまう。アルコロジーを敷き詰める小学生と何も変わらない。
街づくりは常に妥協の連続
ではどうすればよいのか。それは「妥協のタネ」を作り出すことである。 例えば現実に照らして金の掛かりそうなことをなるべく行わないことは、よいアイデアである。整地をあまり行わないことや、架ける橋の数を減らすなどが考えられる。これだけで道路は等高線に沿って曲線的になり、橋の周りは渋滞が発生する。
他にも方法はある。妥協のタネを妄想することだ。私はSimcity時代に、ある程度都市を開発したら適度に災害を起こして再開発を行っていた。ここで大切なのは、災害跡を残しておくことだ。地震で割れた断層に沿って新たな道路を引き、隕石のクレーター跡は自然保護区として周囲を囲う。津波が起きれば海岸線を嵩上げし、大洪水が起きた場所は水難の相として、建物を建てない。
ここまでくるとゲーム上でタネを引き起こす必要もない。立ち退きを拒否する地主のせいで変に曲がってしまった道路。工事を行ったら遺跡が出てきたせいで開発が止まってしまった市街地。街なかの1等地がすべて工場立地になってしまった企業城下町。タネはいくらでもある。外を歩けばよいだけだ。ブラタモリをみるだけでもよい。
妄想の舞台としてのCIties:Skylines
こんなプレイをしていると、作っている都市の様々な場所に愛着が出て来るから不思議だ。それは架空の場所に意味が内包されたからだ。しかもこのゲームは住民1人1人が目的を持って動いている。それが可視化されて見えるのだから、まさに動くジオラマである。
ジオラマとしての街づくりゲームは 、つまるところ妄想の舞台だ。Cities:Skylinesにはそれを成立させるための様々なシステムがある。沢山のユーザーが作った自作の構造物やゲームシステムを導入できるModと呼ばれる仕組みだ。これを使えば巨大な建築から細かいパーツ(例えば自動販売機とか)までを自由に街なかに配置できる。
このゲームは気の遠くなるほど大量のパーツがユーザーによって作成されており、導入できる。しかしこんなものはゲームの面白さがわかったあとで、やりたい人が少しずつやればいいのだ。何故なら初期状態のゲームであることもまた、都市の「妥協のタネ」となるからだ。
都市は生きている
このゲームの人や車、電車や飛行機、そして動物に至るまで、それぞれが意思を持って動いている。大量の交通を処理するジャンクションや、大勢の人が行き交うターミナル駅を眺めているだけでとても楽しい。それはまるで子供の頃、蟻の観察をして眺めているかのようだ。
また動いてるのは人だけではない。街自体が環境に応じて変化するのだ。公共サービスの行き届いた文教地区は高級住宅街となり、交通が不便な商業地は品不足と客不足で廃墟となっていく。まるで都市そのものが生きているかのようだ。
別の地区をずっと開発してる時に、何となく数10年振りに(ゲーム内時間)昔開発した地区を見に行く。するとそこには記憶していた景色は無くなっていた。閑静だった住宅街は、独居世代の増加によって中層アパートが乱立し、かつて繁栄していたオフィス街は、中核世代の大量退職により閑散としている。他地区から流入する交通量の増加によって渋滞が多発し、ニュータウンは放棄されてしまっていた。
それはまさに、昔住んでいた街に数10年ぶりに訪れたかのようだ。昔の好きだった景色は無くなっているが、新たな景色が(自発的に)生まれているのだ。
おわりに
このゲームは64bitのPCがあれば動く。PCの性能もそんなに必要ない(都市の規模によるが)。そして何と言っても3,000円程度で手に入る。環境のある方はぜひプレイしてみて欲しい。特に普通のゲームに疲れた大人にとって、思わぬ楽しみを与えてくれると思う。
そして既にこのゲームを持っている人は、理想の街を追求して1からやり直し続けることもよいが、是非1つの街をプレイし続けてほしい。日本風の街を作っていたが、ふとヨーロッパ風の街を作りたくなった。だったら今の街の空いたところに移民街を作ればいいのだ。その境目には新たな雑多な風景が広がることになり、妥協のタネがまた1つ生まれるのだ。
そうなると都市は無限に広がっていく。そして高性能のPCが欲しくなる。金が無くなっていく。しかしそれで良いのだ。なぜならCities:Skylinesは最高のゲームなのだから。
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