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【書評】よかれと思ってやったのに・・・ 嫌われる勇気

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 自己啓発本というと、何となくうさん臭いイメージがある人が多いのではないでしょうか。私もそういったイメージで、その手の本を読むことはあまりないのです。本書は数年前に話題になった本であり、友人に勧められ遅ればせながら読んでみました。タイトルを読むと、人に嫌われる事を恐れず自分のやりたいことをしろ、といった内容かなと想像していましたが、全く違うようです。

 

本書は心理学の三大巨頭と称されるアルフレッド・アドラーの思想を対話形式で紹介します。これは自己啓発というよりも、心理学や哲学の話をわかりやすく提示したと考えたほうが良いかもしれません。なおアドラーの考えはとても難解で、とても私ではまとめられません。なので、かいつまんだ紹介と感想を述べたいと思います。

 

 本書では、とても印象的な、しかし疑念を覚えてしまいそうになる、「目的論」と「課題の分離」という考えを提示します。一つ目の目的論とは、人は過去の原因があって行動する(原因論)のではなく、未来への目的があって行動する、ということです。辛いことがあったから引きこもるのではなく、外へ出て苦労したくないから引きこもる。女にモテなかったからいじけてるのではなく、自己評価を下げて奥手になれば傷つく機会も減るので、いじけて自己評価を下げている、ということです。なかなか辛辣な考え方で我が身に刺さって結構キツイですね。一方で、自分が嫌いな人にキツイ態度を取るとき、仮に相手の嫌いな部分が解消されたとしても、それで嫌いという感情が解消されるわけではない(嫌いな部分があるからキツイ態度をとるのではなく、疎遠になりたいという目的のためにキツイ態度をとっているから)、ということを考えると一理ある気もします。

 

この考え方が正しいのかどうか、一見するとかなり疑問に思えます。しかし著者は「アドラーはより実践的な心理学者であった」と述べています。つまり正しいのかどうかはひとまず横において、それが現実社会で役に立つ考え方であるべき。といことではないでしょうか。上記の例で言えば、過去のできごとに立脚する原因論では、過去を変えられない以上、あなたの悩みは解決しない。しかし未来の目的に立脚する目的論であれば、解決の道程を示すこともできる、ということです。

 

2つ目の「課題の分離」とは、自分で変えられることと、そうでないこととを、分けて考えるということです。例えばあなたが誰かにプレゼントを贈ることは、あなたができることです。一方でプレゼントを受けた側が、それを喜んでくれるかどうかは相手の自由であり、自分で変えられるものではありません。この例の中で「課題の分離」ができているということは、誰かを喜ばせるためにプレゼントを贈るのであってはならない、ということです。あくまでも、贈り手に対して感謝の気持ちを表した、というところに留めておくことです。

 

この2つの考えから出る結論は、「自分の為に人の為になることをする」ということです。矛盾した理屈のようですが、そうなるようです。私なりに解釈すると、よかれと思ってやったのに上手くいかなかったり感謝されなくても、それで挑戦することをやめてしまうな、ということでしょうか。「嫌われる勇気」というのは、課題の分離に立脚することで、嫌われるという自分では変えられないことを処理することと、目的論に立脚して、今後の行動という自分で変えられることを変える勇気をもつ、ということではないでしょうか。

 

実は上記の理解では「自分の為に」の部分について、解釈が苦しいところがあります。本書ではさらに進んだ議論として、「勇気づけ」や「共同体感覚」の概念についてやり取りします。「自分の為に」の理解はこの概念の理解に鍵があるように思えます。しかしこれは更に高度な理解が必要なようで、私には手に追えませんでした。

 

アドラー心理学についての正しさを、自分の過去の人生に照らし合わせて検証すると、その理解は一見とても困難なように思えます。しかし今後の人生の歩み方の指針として理解しようとすると、見える風景が変わってくるのではないでしょうか。私にはそう思えました。なお本書によると、アドラー心理学を理解するには生きた年数の1.5倍必要なそうなので、気長にいくことにしましょう笑。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え